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道徳、哲学を養うということを考えるとき、古来から脈々と受け継がれてきたものには西洋的な思想と東洋的な思想といった大きな括りがありますが、東洋的な思想という立場の中でも武士道は、世界的に大変認知されているものではないでしょうか。
「男に二言はない」といった言葉からも分かるほど、潔く、落ち着きやどっしりと構えるような姿勢も窺える武士道の精神には、生きていく中で大切にしたい思想も大変多く詰め込まれています。
私が今回手にした武士道は、岩波文庫さんより出版されているものです。新渡戸稲造が執筆したその当時、原著は英文で書かれていたようであり、岩波文庫さんで出されているものは矢内原忠雄さんによって訳されています。
本書武士道は、全17章での構成です。武士道の立ち位置や成り立ちから始まり、義や勇、仁、礼や名誉、忠義など、私たちもどこかで聞き覚えのある部分をはじめ多くの武士道とは何かが記されています。
また、武士と婦人のことについてや、武士道の将来的な展望についても記されており、武士道という”武士の掟”が武士に関わる人たちについても影響を及ぼしていることが見て取れます。
心からきちんと相手を敬う部分であったり、美的感性や品性についても言及がある点、また仏教の考えも少なからず影響していることは、日本古来からの思想という意味でも『茶の本』に見られる茶道での哲学とも大変通ずる部分があり、合わせて読み合わせると良い気がします。
武士道というものは、簡単に言えば武士の掟であると本書では記されています。この武士道においては戦闘規律といったことだけでなく、そこに道徳的な内容も込められていることは大変意義のあることだと考えます。
「もし戦闘の規律が行われただけであって、より高き道徳の支持を受けることがなかったとすれば、武士の理想は武士道に遥か及ばざるもに堕したであろう。」
新渡戸稲造. 武士道. 岩波文庫.
きっと道徳的部分がこの武士道において欠落していれば、もしかしたら今日『武士道』が多くの人に知られるものではなかったのかもしれません。また、日本人が古来より大切にしてきたような道徳的な伝統の数々も、今日とはまた違った形で受け継がれることにもなっていたのでは、とも思うのです。
本書においては、武士として心得ておくべき道徳的事象についてが数多く言及されていますが、それらはまさに、人として生きていく上で大切にすべきものであり、何か特別なことでもないように感じます。
平たく言えば、目上の人に対しては敬う心を持って接するであるとか、媚びへつらわないであるとか、嘘を言わないであるとか、そういったこと。学校で教わるようなことであって、やはりこれら誰でも分かるような簡単なことこそ大切なんだと改めて気付かされます。
こうした道徳的思想は「死」についても大変興味深いものがありました。
武士道において説かれる「勇」の中では、策略もなく無謀な戦いをした結果から招く死を「犬死」と呼び、大変軽蔑されていたようです。ですが、自分の正義の上で招いた死に関しては、潔く受け入れるべきだといったようなことが言われています。
勇はそうした何事にも動じない強い心、勇気についてが言及されているのですが、死に関していえば、その時が来ればそれを受け入れるといったようなスタンスであったのだと私は解釈しました。
つまり武士である以上、上記の犬死のような状況でない限りは、死に対しての強い恐怖や抵抗をするのではなく、潔くその時を迎えよ!というのが武士道における死の考え方なのでしょう。そうした思いを第一にして死を迎え入れるには、日頃から自身の心を強靭に整える修練が必要であったのも想像に難くありません。
また、武士といえば切腹があります。大変興味深いのは、この切腹には恥を免れるといった意味があったことでした。切腹はその当時、大変勇気のあることとして名誉ある最期ともされていたようです。ですがそこには、罪を償い反省の意を示すといったことだけでなく、自身につきまとう恥といったことを払拭する意もあったのだと知り、大変考えさせられます。
死という方法でもって形式的にも解決に導く切腹という習慣には、厳しい武士としての世界の中での”せめてもの優しさ”のようなものも感じる気がするのです。
--- 武士道にはその時代の習慣や価値観も大いに反映されており、民俗学的な立場になるのでしょうか、道徳、哲学面での歴史も感じられる部分が大いにあると思います。
そうした歴史的背景も合わせてそこに示される数々の道徳、思想、哲学、美学の中には、私たちが現代を生きていく中でも大切にしていきたいものがたくさんあり、今でも広く読まれて続けている理由を知れたように思いました。