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愛の形は多様であることを感じた - 朝吹真理子さん『TIMELESS』

22 August, 2021
愛の形は多様であることを感じた - 朝吹真理子さん『TIMELESS』

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読み進めている途中も読了後も、なんだか夢を見ているような、終始そんな気持ちに包まれる一冊だったような気がしています。すごく新鮮な思いと合わせて、新たな価値観にも出会えたような気がするのです。

私たち人間は、好きな人と出会う、恋をする、結婚をする、子供を授かる、など人間らしい感情の伴った異性間の交流がありますが、これらの営みは人によってその捉え方が大きく違うものであり、そこには所謂「恋愛感情」という類のものが伴わないこともあるのだと強く考えさせられました。

「記憶」の交差が織りなすもの


---2011年『きことわ』で芥川賞を受賞された7年後に出版された本書は、冒頭でも述べたように、夢を見ているかのような気分になるほど、色々な事象が複雑に絡み合うような展開が特徴的でした。

茶葉や食器などの輸入会社を経営している母と、他に家庭を築いている父の元に生まれた「うみ」。うみと同じ高校出身で、化粧品メーカーで香料の研究をしている「アミ」。恋愛感情も性的な関係もなく婚約を交わし、結婚に至ったうみとアミでしたが、そんな二人の元に「アオ」という男の子が生まれました。アオが生まれる頃には父であるアミの姿はなく、父の姿を知らずにアオは育つことになります。

アオが生まれた時には、父を亡くしたという「こよみ」が姉としており、「うみ」「こよみ」「アオ」の三人で生活を共にしていました。それぞれの登場人物が様々な感情を抱きながら物語は進行していきますが、原爆による放射能の遺伝や、400年前六本木の地で行われた大規模な火葬、修学旅行で訪れた「広島」など、様々な”思い出”や遺伝子レベルでの”記憶”が複雑に絡み合って、一味違った物語の形を作り出しています。

愛する感情なしに結ばれるということ


本書で大変印象的なこととして、うみにとって愛や恋愛というものが、私の思う恋愛感情のそれとは違うことにありました。みんなのように恋愛感情を抱くということ、恋をするということを行なってこず、自分からしたいとも思ってもこなかったうみ。

だからこそ、なぜ人を好きになるのか、そして、愛を育むということへの欲望が自分自身にないということの理由もわからないでいます。性行為は「交配」として考える。そうした、うみの姿が本書においては、リアルに描かれているのです。

---性行為はただの交配に過ぎなく、そこに愛が必要なのかどうか、なぜ自分は周りと同じように情愛を感じないのだろうか、この点については”どうでもいい”。うみにとって恋愛や愛の形というのはきっと、"どうでもいい"ものであったのだと推察します。

こうした恋愛観であったからこそ、うみにとっては、アミとの二人の関係が程よい距離感でもあったのだとうみ自身が感じています。愛する感情がないということはそれだけ、一歩引いた視点から二人の関係を保てるのかもしれません。

人間とは多くの人が、人を好きになり、相手のことをもっと知りたいと思うようになり、そして、自然と愛を深めるようになる、きっとそれが本能的にも当たり前のことなのだと考えていました。ですが、いくらこれが小説というフィクションの世界であったとしても、世の中にはそうした視点で愛の形を形成している方もいらっしゃるだろうと思います。

私にはうみのような発想がありません。自分が愛した人が仮にそういった視点で愛を考えていても、それを自分で受け入れる事ができるのかどうか。大変考えさせられます。

遺伝子レベルでの”記憶”


本書には原発の放射能や遠い昔の大規模な火葬についてのことが、ところどころでフラッシュバックするように登場します。「遺伝子レベルの記憶」と、これは私が勝手に言葉にしていますが、これら過去に起こった遺伝子レベルでの記憶を物語の中でうまく織り込まれている表現の仕方が大変素敵であって、より幻想的なものに仕上げているように感じます。

本書を読み進めていくのは、人によっては難しいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。なんだか神話的な要素や思考と言いますか、哲学的な考え方といいますか、記憶の数々が表現されていくところではそうした発想が必要になる気もします。だからこそ、時間感覚が前後して、なんだか夢の中にいるような気持ちになり、それがまた心地よいものでした。

私たちの遺伝子の中にはきっと、大昔の様々な事象が”記憶”として記録されているのだと。何百年も前のご先祖さまがどこかで大成したこともあれば、大地震に見舞われて苦しい思いをしている人の記憶も、きっとどこかに記録されていて、それが私たちの”記憶”としてふとしたタイミングでフラッシュバックするのでしょう。

私たちは、命を継承していくと同時に、断片的にも多数の記憶を目に見えないレベルで継承している。そんなふうに考えさせられました。

---いくつもの愛によって継承されてきた”記憶”の中にある、「良い記憶」も「悪い記憶」も、今後に継承していくかどうかは自分たちの手にかかっている。そうして考えるとまた、愛の形も違ったものにも見えてくる気がします。

About the Author

suda

suda

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知的好奇心旺盛な20代。多趣味で、読書とプログラミングが好き。夢は妻と併用の木の温もりを感じる書斎を設けること。