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哲学書と聞くとすごい難しそうなものなのだろうと、勝手に嫌悪感を抱いていました。ですが、いざ読み出してみると案外わかりやすい部分もあり、イメージが変わってきました。
本書アランの『幸福論』についても同じです。
読み進めるうちに、この考え方は実生活に今すぐにでも取り入れられるなと思うことがいくつもあり、難しくも楽しく読み進められた気がしています。
充実した日々を過ごしているはずなのになんだか日常に満足していないと思う方や、あれこれ考えやすい性格の方には是非手に取っていただきたい一冊であります。
今から約100年前の1925年に幸福論の初版が出版され、ヒルティ、ラッセルと合わせて「三大幸福論」の一つとされます。
岩波文庫から刊行されている本書は神谷幹夫さんの翻訳によるもの。アランの示す幸福についてが93のプロポによって展開される内容です。
後書きに記される神谷さんの言葉が印象的であります。
アラン『幸福論』は体系的に読まねばならないような本ではない。また一度読んでそれで終わりという本でもない。
p320,神谷幹夫訳,アラン 幸福論,岩波文庫
プロポ一つ一つから学び感じ取ることが必要であって、そして、何度も読み返しながら深く自分の中に落とし込んでいく。そんな一つの哲学の味わい方であったり楽しみ方をも示されているように感じ、読了後に後書きを読みながらも再読を心して行いたいとも思わされた気がします。
訳者である神谷さんの先の言葉を引いておきながら大変恐縮ではあるのですが…自分なりにこの幸福論を読了して全体から感じた特徴がこの一節に詰まっているように思います。
しあわせになる秘訣の一つは、自分の気分に無関心になるということだ。
p222,神谷幹夫訳,アラン 幸福論,岩波文庫
人間は自分の気持ちや考え方、物の見方次第で、全ての苦楽を分別しているということだと思うのです。
一番単純であって、もうある程度分かりきったことではあります。ですが、この単純なことこそが答えのようであって、逆にいえば人生を生きていく上で”より幸せに生きる方法”というのはこれに限ったものである気もするのです。
実際に自分の気分や感情を切り離して目の前の事象や人間関係を考えることがどれだけ楽なことでしょうか。頭でわかっていても、実際にはそれを行動に移していくことは難しいものであり、だからこそ悩むわけではあるのですが。
先述の通りこの『幸福論』は、大変実用的なことも示されているのが特徴的でした。中でも、特に前半部分にかけて示されている情念云々の部分。こちらは私自身の”心の薬”にもなったような気がしています。
自分なりに解釈しますと、結局不安や怒りといった感情・情念(強く囚われる感情)も体の病気のようなものであって、時が経てば落ち着くものであると。
そして、情念を抱くのもそれもまた体の仕組み、当然の成り立ちであって致し方ないことであると。だからこそ、そうした感情に囚われることはないと、そのように解釈しました。
つまり、日常的にお腹や胃が痛くなっても時間が経てば治るように、強い不安や怒りというものも同じで、時間が経てば引いて元通りの平常心が生まれるのだと、そのようなことだと思うのです。
私はパニックを持っており、日常的に強い不安に襲われることが少なくありません。
そうした時、これまでは不安感に襲われると「どうしようどうしよう」と焦って、より強い不安感に襲われていました。ですが、この不安感も一過性のものに過ぎないと考えられた時、前よりも早く落ち着くことができるようになった自分がいます。
もちろん完全に打ち消すことはできないのですが、強い不安をうまく受け入れる術を知れたのは、個人的には”幸せに生きる方法”を一つ得れたように感じます。
---シンプルイズベストともよく言いますが、ごく単純な考え方こそが答えであることを幸福論からも教えられたようです。
本書全てを理解することは容易いことではなく、今後も読み返すことで、著者であるアランの真意により近づきたいもの。とはいえ、先述のような自分なりにでも幸せに生きる方法を本書から認知できたことは、大変大きな収穫であったように思います。