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原田マハさんの短編集『あなたは、誰かの大切な人』のお話にて岡倉天心の『茶の本』が登場しており、そこで初めて本書の存在を知りました。
これまで茶道を強く習いたい、その様な思いにかられたことはありません。
ですが今改めて、きちんとした大人として生きるためにも、茶道を習うことで多くの哲学や美学を自分に取り入れてみたいと感じています。
私が手に取った『茶の本』は、大久保喬樹さんが訳されたものです。
本書では、大久保さんの解説も一緒に収録されています。個人的には内容的にも解説を含めてより理解が深めれたらと思い、大久保さんが解説されたものをチョイスしました。
さて『茶の本』でありますが、こちらは茶そのものと、その背景についてを深く深く知ることができる一冊といえるように思います。お茶をする上での作法云々ということでなく、思想や歴史などについてが網羅されているといった印象です。
本書は、明治時代に活躍したとされる思想家の岡倉天心が記した著書で、大きく七章からなります。
茶という文化の特色、歴史、哲学や思想、茶室のことや日本人の暮らしとの関係性、また芸術作品と鑑賞者の関係といった少し違った視点から見える”茶の根本となる部分”についてが紐解かれていたりと、茶についてを体系的に知ることができる一冊。
そこには禅と茶の関係についても記されており、日本が古くから大切にしてきた美的感性や習慣、礼儀作法など、茶を知ることで日本人としての誇り高き伝統を学びとれるといった印象でした。
本書を通してお茶・茶道というものがどういうものなのかを自分で考えて見た時、一つ挙げられることは、とにかく目の前のその瞬間を味わい尽くすという姿勢があると感じます。
茶室には無駄な装飾はなく、綺麗に整えられた室内には、釜の中で沸々と沸く湯の音だけが鳴り響く。そんな空間で、主人が丹精込めて淹れたお茶を楽しみ、味わう。そこには一切の無駄がなく、目の前に広がる空間、時間だけを味わい楽しむ。
仏教には「諸行無常」という教えがありますが、禅、そして道教といった仏教の教えも根本にある茶道では、こうした諸行無常の見方が非常に大切にされているように感じました。
この世の中で常に同じものはなく、刻一刻と全てのものが何かしらの変化をしていくのが世の定めであるといったような教えが諸行無常であります。茶においてはそうした諸行無常に表されるような「変化」があるからこそ、今を楽しむことが大切にされているのだと、読んでいて感じました。
こうした思考、楽しみ方というのは、大変贅沢なことであると思うのです。
目の前のことを楽しむ。これは一見当たり前なことでもあるように思えますが、頭には雑念であったり、色々な思考が過ぎるものです。そうした中でも、目の前の時間や空間を心から楽しむことは案外簡単なことではありません。
また、もう同じ時間は二度と流れることはない。そう思うと、一生味わうことのできない今という時間、空間を楽しむということは見方を変えれば、この上ない最上の贅沢なことであるように思います。
本書の中では、茶室という空間や庭についても詳しく言及がされています。
庭に至っては、完全に綺麗に清掃された庭が必ずしも本当に美しい庭であるとは言えないことが、千利休とその息子とのエピソードよりわかりました。枝や葉が全く落ちていないよりも多少落ちていた方が、より自然な美であると、そういったような話です。
また、茶を楽しむ時間が、もてなす側の主人だけが過剰におもてなしをしてもダメであって、逆に、客人側だけが興味を示しているような形も違う。そんなようなことも考えさせれました。ここには、もてなす側ともてなされる側のお互いの心構えが大切であって、双方に相手を慈しむ心がなくてはならないと思うのです。
こうしたところから、茶から感じる”美”を今こそ大切にしたいと強く考えます。
昨今のネット社会では、派手な見た目や生活で人を惹きつけるようなことも散見されますし、見た目に限らず生き方といった広義においても、取り繕ったような美しさが賞賛されることも少なくないような気がするのです。
これは自分への自戒といった意味でも強く感じいて、なんでも簡単に取り繕うことができるのは、日常生活の様々な場所においてもあることだと思います。
こうした社会の中の様々な風潮、問題に視点を向けて見ますと、茶にみられる美は今一度大切にしたい哲学であるように思います。
自然体で美しい自分でいることであったり、それぞれの立場で相手を思いやるという心の美しさが、先述の千利休のエピソードや主人と客人といった茶の構造からは強く滲み出ていて、改めて自分の生活においても、これらの視点を大切にしていきたいと考えさせられました。
---茶道というと、普段から習っていなかったりすると、なんだか少しお堅いようなイメージもあります。ですが、その格式高い世界の中には多くの美学や哲学があり、日本人として生きる以上、そして人として、改めて大切にしたいものが多くあると気付かされました。
こうした日本の文化・伝統についての理解を深めることが、特に現代を生きる私たちには必要なことなのかもしれません。